ArtPublicity設立26周年

初代会長からメッセージが届きました。

>後輩のみなさんへ

私は1982年、平井君とともにArtPublicityの前身の「らくがきくらぶ」を立ち上げた高森です。私自身はらくがきくらぶと ArtPublicityは違うサークルとはあまり思っていません。らくがきくらぶはそのふざけた名前とは裏腹に、当時の僕の中にあった強烈なある想いに よって立ち上げたサークルです。平井君によれば妄想ということになるようですが。当時、千葉大学にあったアート系サークルといえば、美術研究会、絵画同好 会、漫画研究会、アニメ研究会でした。そのいずれもがエスタブリッシュメントであり、それぞれがそれぞれの分野を確立していたものでした。しかし、僕に は、元々アートというのは、表現形態はどうでもいいという考えがありました。僕は、中学の頃から、ピカソのオートライティングという図形連想によるアブス トラクトを得意としていました。しかし、学校の美術の授業では、ひたすら写実の技巧で点数を稼いでいました。美術の成績を上げながらも、心の中では、こん なのはアートじゃない。アートというのはもっと、やわらかくて、はかなくて、でも、強烈で、自由なんだと、アブストラクトを描くときの脳が高速で突っ走っ てオーバーヒートする感触を味わいながらそう思っていました。大学に入ってから、そろそろ、そういう思いを自分の外部に正直に出してやろうと思いはじめて いたのです。最初は、選択肢が限られていたので、絵画同好会に入部しました。しかし、当然、絵画同好会では、自分の欲望は満足できず、そこで、絵画同好会 で知り合った平井君とともに、FREE DRAWING CLUBすなわち「らくがきくらぶ」を立ち上げたのです。僕にとって、一番なじみやすかったの が、アブストラクトだったので、表現形態として選んだだけで、なんでもいいのです。アートは、人類全てに開かれていて、平等で、独占できないものだと僕は 思っています。現実にはビジネスとして、金が介在する世界ですが、アートの本質に照らせば、アートには本来プロはいないと僕は今でも思っています。人間は 全て、感動することができ、感動を与えることができるはず。その表現形態の中に、習熟が必要なものとそうでないものがあると。だから誰でもアートはできる と。そう信じています。僕が卒業してまもなくして、らくがきくらぶはArtPublicityと名前を変え、活動の中心も絵画ではなく、パフォーマンスに 移っていきましたが、それは、単に表現形態が変わっただけで、中身は何も変わっていないと思っています。情報が古いかもしれませんが、 ArtPublicityのWEBサイトで学長を勝手にSPするというパフォーマンスをやっていたのを、最近僕は知りました。やっていた当事者のみなさん はどういう意図でやられたかはわかりませんが、僕は、すごく奥深いものを感じました。大学の管理側の象徴である学長はすなわち、強烈なエスタブリッシュメ ントの象徴であり、その象徴を、エスタブリッシュメントではない、何にも縛られないフリーランスの学生がSPする。ありえない状況を敢えて作り出す、行為 のアバンギャルドだと思いました。 馬鹿馬鹿しいんですが、馬鹿馬鹿しいと脳が判断するギリギリの彼岸の中に、実はアートがある。それを見事に浮き彫りにしました。「イイ」です。ただ、僕に は、やっぱり、アブストラクトの方が表現形態としては楽ですが。最近、母が亡くなりました。僕に彼女が確かに残したものは、「思い出」でした。人間は結 局、遺された人の心の中に「思い出」を残すことだけしかできないんじゃないかと思います。今回の交歓会で、26年前の仲間たちと逢って、昔の共通の思い出 を掘り出して、眺めながらそう思いました。だれにでもアートはできる。そう信じる後輩が次々にArtPublicityに入部して、代々、面々と続いてい き、多くの「思い出」を作ってもらうことを心から祈っています。また、お逢いしましょう!

2008年10月

高森健一

カテゴリー: 未分類   パーマリンク

コメントは受け付けていません。